戸田光太郎の2000年日記

2000年2月19日〜20日

2000年
2月19日(土)

たっぷり寝たリエは快方に向かう。
僕は一人、ソーホーの中華街や市場へ週末の買い出しに行く。
英国の本屋でアジア本を探すが、いいものがなかった。で、ロンドンの古本屋「徒
波書房」を覗いたら拙著「欧州の路上で」が売っていた。思わず買おうとしたが、誰
か読みたい人が買った方がいいと思い直して棚に戻して去った。
結局文化材は何も買わず。
花より団子、である。
野菜、米、肉、エトセトラと大量購入。
チンゲンサイを大蒜で炒めて買ってきた生ラーメンにどかどか載せて昼食。
ほぼ回復したリエはアビー・ロードの女の子パーティーへ行くという。パーティー
会場まで送っていく。
彼女が帰る時にはまた迎えに行く。

2月20日(日)


迎えにいったまま昨晩はお付き合いでワインと日本酒を飲んだ。あのアビー・ロー
ドのお宅の隣りには布袋氏と今井美樹が引っ越してきて取材陣がパチパチやって
いたとのこと。
昨晩酔っていたリエは絶好調で目覚め、僕は二日酔い気味。晴天なのでリージェ
ンツ・パークまで散歩して水鳥観察後、なかなか洒落たレバノン料理屋
「FAIRUZ」(3 Blandford St, London W1H 3AA, Tel: 020-7486-8108)
を見つけてメッツァを食べる。旨い。満腹である。オックスフォード通りで買い
物して帰る。
部屋を片づけていたら20年前の英字新聞記事が出てきた。
一つはジョン・レノン射殺事件の切り抜き。Ex-Beatle John Lennon Shot Dead
By ‘Screwbasll’ Outside His New York Aptと見出しが付いている。もう一つ
は同時期に死んだスティーブ・マックィーンの生前最後の記事だった。
ジョンは高校生以降のヒーローだったけど、マックィーンは小中学生の頃のヒー
ローだった。「荒野の七人」「大脱走」「ブリット」「華麗なる賭け」などで見せた動物
のように敏捷な身ごなしの、とてつもなくカッコイイ俳優だった。ああいう姿は
実生活でもストイックでなければ出ないんじゃないかと思っていた。それを裏付
けるような記事で、20年前の僕は赤いボールペンでこのくだりを囲っていた。
”the reason I denied that I had cancer was to save my family and
friends from personal hurt and to retain my sense of dignity, as, for
sure, I thought I was going to die.”
彼はこれが記事になる以前に一度、自分が癌であるということをマスコミには否
定していたのである。
「癌だということを否定したのは、家族や友人を徒に悲嘆させたくなかったからで
あり、また、自分自身の尊厳というもの、つまりそれは、死に行く者としての尊
厳を保持したいと考えた上でのことでした。」
20歳若かった僕は、スティーブ・マックィーンのこの記事を切り抜いてとってお
いた。当時は京都の修学院に住んでいて、その後この記事は東京の大井町、自由
が丘、文京区の白山、オランダのアムステルフェーン、ロンドンのスイスコテッ
ジ、アールズコート、ケンジントン・オリンピア、カムデンタウン、メイダベイル
と一緒に引っ越してきたのだ。今回、ちゃんと翻訳して一般公開できたので、こ
の切り抜きは弔うことにする。お疲れ様。スティーブ・マックィーンさん、あなた
は最後までカッコイイ人でした。ご冥福を祈ります。合掌。




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