被災日記その4
- 1995.1.22
- 貴巳子さんの風邪はだいぶ良くなってきた。子供の方は、一進一退といった
感じ、特に、下の男の子の楠丸は一時引きつけを起こして、あわてた。たま
たま電話をかけてきてくれたオーストラリアの姉に相談すると、育児書を調
べてくれた。症状は軽かったので、とにかく良く寝かせるしかない。終日、
家にいて世話をしている。午後、大阪市西淀川区に住むT君がバイクに
水、ポリタン、カセットコンロのボンベなど救援物資を積んでやってきてく
れた。自分のマンションも結構揺れたそうなのに、駆けつけてくれてありが
たかった。
- 1995.1.23
- 子供の風邪も何とか峠は越えたようだ。今日は、代替バスが動いているとい
うので、バス停を確認しに行く。倒れた銭湯の煙突、歩道に積み重なった倒
壊家屋、ひっきりなしにサイレンを鳴らして突進していく救急車両。しか
し、スーパーの行列は嘘のようになくなっている。殺伐としながらも、町は
確実に動き始めているようだ。
- 1995.1.24
- 1時間バス停で待って代替バスに乗る。JRや阪急のバスはすぐに来るのに
阪神のバスはなかなか来ない。甲子園から電車で尼崎へ、駅から勤務先へ歩
いて いく途中、尼崎のあまりの平和さに思わずめまいがする。ここには倒壊した
建物はほとんど目立たず、地震の前と同じ生活が続けられている。今の神戸
の暮らしと比べてその差はどうだ。
しかし会社の五階建ての建物はかなり揺れたそうで、分析機器、ガラス器具
等に大きな被害があった。自宅の被害が比較的少なかった人たちが、かなり
片づけてくれていた。取りあえずの所用を済ませ、近所の銭湯には行って帰
ることにする。さっぱりすると、「がんばらねば」と気力が湧いてきた。
帰りは甲子園からのバスの待ち時間が2〜3時間で神戸までの所要時間が5時間
というので、歩くことにする。途中、西宮の知り合いの家に寄ると、すでに
ショベルカーで壊れた建物を撤去しているところだった。不要になった自転
車を分けて下さったので、乗って帰る。留守の間、貴巳子さんは楓子をUさん
に預けて、楠丸を医者に連れて行っていた。
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