被災日記その6 ネットへの書き込みより

1995.2.18
●まだ水は来ないが、給水車はよく来る
 昨日の特集番組を見ていたら、まだ水道が復旧していないのは、もうこの
あたりだけになっていた。最後まで取り残されるとはショック! 道理で最
近給水車がよく来ると思った。この前は学生時代を過ごした伊那市水道局の
給水車が来てくれて、うれしなつかしかったです。水道に関しては、しかし
もう一つ問題があって、地震でマンションの給水タンクが飛ばされたため、
このマンションではこれが復旧するまでどっちにしろ、蛇口から水は出ない
のです。こういうマンションは結構多くて、タンクは発注しているのです
が、納期はかなり先に(来月半ばと聞いている)なりそうです。ガスの復旧
とどっちがはやいかな。投げ込みヒーターは会社から借りてきた実験用のも
ので500Wと750Wの2本、棒状のわっか部分が熱くなって水を温めます。200
リットルの水を40度まで沸かすのに約6時間を要します。もちろん入るときに
は、ヒーターははずしておきます。

地震にあった人の共通事項
  1. 地震の瞬間、もう死ぬかもしれないと思った。
  2. 亡くなった人と、助かった人は、何かあらかじめ決められていたかのような
    「神の見えざる手」を感じた。
  3. あのとき一度死んだのだから、と人生観が変わってしまった。
  4. 建物を見ると、反射的に「これは地震が来たらどうなるか」考えてしまう。


1995.2.25
●今日はマンションの集会
副理事をやらされているので、会社を半日休んで出ました。私のマンション
は損害は少ないほうといっても、半壊認定で補修が必要です。住民のみなさ
んの表情も真剣でした。
しかし青空でのマンション住民集会というのも、風通しが良くて、明るく
て、いいもんですね。いつも会場に借りているところが避難所になっている
のでこうなったのですが、前代未聞の90%近い出席率といい、参加者の真摯
な態度といい、本当の住民自治を感じさせる清々しい集会でした。終戦直後
の青空教室民主主義みたいですね。そういえば、神戸では背広で通勤する人
は減り、みな動きやすい合理的な服装で歩いています。天皇陛下だって、神
戸に来たときは質素な普段着でしたね。やっぱ、硬直したハードを破壊しな
ければ、新しいソフトは生まれんわ。
1995.2.28
●我が家は貴重な10%
今日のニュースで、今や断水しているのは神戸市の全世帯の10%と言ってま
した。2月中に100%復旧させるという話はもろくも崩れさりました。家の前
の道はそうひどく傷んでいるようには見えないのですが、そこまででも水は
来ていないようです。マンションの高架水槽の方は明日から工事に入りま
す。前の落ちてしまった水槽の架台が途中の4階のベランダに引っかかってい
て危ないので、優先して工事してもらえるそうです。ラッキー
 
1995.3.1
  >>Mail to Uni-kun
おばあさんのことは気の毒やったな。でもうにくんは傍観者ではなかったと
思う。おかれたその状況で精一杯やってたと思う。1/18にうちに寄ってくれ
たとき、数行のメモだけでも、とてもうれしかったし、励まされる気がし
た。特に雑葉はんや、さただ氏の消息を訪ねてくれるのが助かった。あのと
きは、自分がとても動けない状況だっただけにね。この前、雑葉はん、さた
だ氏と話したんだが、私も1/17、部屋のガラス片を片づけながら「俺はこん
なとこでこうしていていいのだろうか、あのがれきの下には人が埋まってい
るのではないだろうか、助けに行かなければならないのではないか」と自問
したよ。しかし行けなかった。子供達や貴巳子はんを守らなあかんと思った
し、正直怖かった。何をしたらいいのか、目の前のことをやるしかなかっ
た。人を助けることが出来なかった負い目は忘れてはいけないと思うけど、
それはそれで仕方のないことだったと思う。人をいっぱい助けた人も、やる
しかない目の前のことをやっていって、そういう巡り合わせだったんだと思
うよ。まあ、うにくん自分を責めるなよ。
1995.3.14
●ついに水が来た、ガスが来た、KT7.5になった
昨日ついにマンションの水道関係が復旧して、部屋の蛇口から水がでるよう
になった。流れる水で顔を洗って、うっ、うれしいっ!と感動していると、
今日は大阪ガスの人がやってきて、都市ガスが使えるようになった。栓をひ
ねるとお湯がでる!!レンジでがんがん煮炊きができる!!ひたすら感動の
嵐の日々を送っていると、以前に注文していた、MacOSの新バージョンKT7.5
のCD-ROMが来ていた。そんなわけでさっそくインストールしながら、待ち時
間に会社から借りているPB100でこんなことを書いているのです。



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